ベンガラの街吹屋探訪

2009年04月19日(

車両:BMW R1100RS

走行距離:343Km

カメラ:Nikon D40X


陶器や漆器、建造物や船舶などに使われる高級塗料に「ベンガラ」というものがあるそうです。そういうものに対する造形が浅いため、今までその存在を知る由もなかったのですが、銅山から産出される赤色顔料の「ベンガラ」によって栄えた街が、今も当時の面影を残したまま存在しているという事を知ったので、RSを駆って訪れてみる事にしました。今回の目的地となるその街は、岡山県は高梁にある「吹屋」です。


一路高梁まで

前回の和歌山ツーリングから半月ほどしか経っていないのに、昨日あたりから気温は20度をゆうに越え、さながら初夏を思わせる様相を呈してきました。今日も朝から素晴らしい青空が広がっており、昨日に引き続き暑くなる事が予想されましたので、今年初めて春秋用ジャケットを着用し、インナーには長袖Tシャツ1枚だけを着込み、着替えの半袖Tシャツをトップケースに放り込んでツーリングをスタートさせました。

まずはいつも通りバイパス経由で山陽自動車道に入り、岡山方面へ向かってRSを走らせます。周りを囲む山々は先月までのそれとは違い、新しい息吹を感じさせる鮮やかな新緑で春の訪れを感じさせてくれるます。さらに、ようやく訪れた春を楽しむかの様に、続々と反対車線を駆け抜けてゆく多種多様なバイク達が、ツーリング気分を高めてくれました。

 

春の風を感じながら山陽自動車道を約1時間程走ったあと、吉備サービスエリアに立ち寄って少し休憩をとりました。吉備サービスエリアには、沢山のツーリングライダー達が集まっていましたが、それより目を引いたのは、スーパーカーの大集団でした。ランボルギーニカウンタックやミウラなど、40〜50台程の往年の名車達がガルウィングを跳ね上げて屯していました。どうやらライダーもドライバーも暖かい春の陽気に誘われて一斉に走りに出た様ですね。

ひとしきり休憩をとったあと、私とRSは吉備サービスエリアを後にして、岡山JCTから岡山自動車道へ合流しました。前方に渋滞が発生している事を告げる電光掲示板の表示が気になりましたが、さいわい渋滞にあわずに賀陽インターチェンジまで駆け抜けて、国道484号線へ降り立ちました。

国道484号線を西へ走って山越えをし、昨年のツーリング「紺屋川美観地区の桜を見に行こう!」で訪れた高梁の街を一望できる展望台に立ち寄り、トップケースからツーリングマップルを引っ張り出して、このあとのルートの再確認をしておきました。

ちなみに、この展望台からの美しい眺めは、映画「バッテリー」でも使われているそうです。

 

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かぐら街道を快走する

吹屋までの道のりは、大まかに分けて二つのルートがあるのですが、ループ橋を駆け下った先に「吹屋」までの案内標識が掲げられていたので、その案内標識通りに国道180号線を北上するルートをとりました。

しばらくのあいだ高梁川に沿って北上を続けたあと、案内看板の指示通りに国道180号線から分岐して山の中へ入っていきます。「かぐら街道」と呼ばれるこの広域農道は、ほぼ全域にわたって対向二車線に整備されたとても走りやすい道でした。「農耕車に注意してゆっくり走りましょう。」という注意書きが至る所に建てられていましたが、農耕車どころか一般車にすれ違う事もほとんどなく、適度なワインディングもあってとても快適な走りを楽しむ事が出来ました。


広兼邸

案内標識を頼りに「かぐら街道」を駆け抜け、まず最初に訪れたのは「広兼邸」です。

「広兼邸」とは、江戸時代の後期に、銅山の経営とベンガラの原材料であるローハの製造で財をなした広兼氏が築いた大邸宅です。1810年に造られたというさながら城郭の様な大邸宅は、人影まばらな山奥にひっそりと横たわり、長年にわたり邸宅を守り続けてきた石垣とともに、当時の繁栄ぶりを静かに物語っていました。

ところで、皆さんはこの重厚な雰囲気漂う大邸宅に見覚えは無いでしょうか?実はこの「広兼邸」は、「祟りじゃ〜!!」というフレーズで一世を風靡した映画「八つ墓村(昭和52年)(平成8年)」のロケに使用され、事件の舞台となる田治見家の邸宅としてスクリーンに登場しているのです。

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笹畝坑道

ここまでの道中で既に一汗かいていたので、トップケースに放り込んでいた半袖Tシャツに着替え、ジャケットのベンチレーションを全開にして「広兼邸」をあとにしました。

再び案内標識どおりにRSを走らせていると、左手に「笹畝坑道」と書かれた看板が現れました。この「笹畝坑道」は、吹屋銅山の坑道の一つで、私がこれから向かう「吹屋」の街が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのを機に、観光用の坑道として整備されたものなのだそうです。この「笹畝坑道」から運び出された銅やベンガラが「吹屋」の街の繁栄を支えたのでしょう。

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吹屋ふるさと村

案内標識通りにさらにRSとともに進んでゆくと、吹屋観光案内所と書かれた建物の向こう側に、鮮やかな赤褐色に彩られた見事な家屋群が姿を現しました。これが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている「吹屋ふるさと村」です。

「吹屋ふるさと村」とは、江戸時代末期から明治にかけて財を成した豪商達が、石州(島根県)の宮大工の棟梁たちを招いて築き上げたもので、全ての家屋が赤銅色の石州瓦とベンガラ色で統一されているのが最大の特徴なのだそうです。

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美しい家屋群を眺めながら通りを西の端まで駆け抜け、駐車場にRSを停めて吹屋の町並みを散策してみました。街道を端から端まで一通り見て歩きましたが、どの家屋も素晴らしい美しさで、とても味わい深いものがありました。

この町並みに惹かれる映画関係者も多い様で、前述の「八つ墓村」をはじめ、同じ金田一耕助シリーズの「獄門塔」や、テレビドラマの「裸の大将」などのロケにも使われた事があるそうです。

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吹屋小学校

通りから外れて少し坂道を登っていくと、とても懐かしい雰囲気が漂う木造の校舎が目の前に現れました。これが現役の木造校舎としては国内最古といわれる「吹屋小学校」です。なんとも味わい深い木造二階建ての校舎は1909年(明治43年)の建立で、現在も小学校として使われているそうです。ちなみに、その側にある平屋の校舎はさらに古く、1899年(明治32年)に落成されたものなのだそうです。

同じ岡山県内に残る「旧遷喬尋常小学校」が白を基調にした洋風作りで、明治時代のハイカラさを感じさせてくれるのに対して、この「吹屋小学校」は明治時代の質朴さを感じさせてくれました。今すぐにでも漱石の描いた「坊ちゃん」が飛び出してきそうな雰囲気があたり一面に漂っていました。・・・もっとも「坊ちゃん」は愛媛県は松山市のお話しですけどね。

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そろそろお腹もすいてきたので、「吹屋小学校」まで続く坂道の途中にある休憩所で「田舎蕎麦」を美味しく頂き、一休みしてから再びRSに跨って次の目的地を目指しました。

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西江邸

県道85号線に沿って山を下り、県道33号線に合流して少し走ると、次の目的地の駐車場があらわれました。RSを駐車場に停め、約100mほど続く急な坂道を登っていくと、遅咲きの桜や綺麗に手入れされた草花とともに、立派な邸宅が目の前に現れました。これが本日最後の目的地「西江邸」です。

この「西江邸」は江戸中期頃の建築物で、最初に訪れた「広兼邸」と同様にベンガラの原材料であるローハの製造で栄えた豪商の邸宅です。内部を公開されていますが、この屋敷には現在も西江家当主が居住されているそうです。

この「西江邸」も、「釣りバカ日誌18」という映画でスクリーンに登場した事があるそうです。

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久々にバイクの神様降臨

これで本日予定していた見所は全てまわりましたので、県道33号線を南下して帰路につきます。この県道33号線は、対向二車線で道幅が広く走りやすいうえに、大半の区間は前後に一台の車もなく、とても快適な走りが楽しめました。久しぶりに「バイクの神様」が舞い降りて来てくれました。

国道313号線で高梁の市街地まで戻り、国道484号線経由で賀陽から岡山自動車道へ上がり、山陽自動車道を快走して家まで帰ってきました。途中で軽四とトラックの追突事故が発生していましたが、幸いな事に発生直後だったため、大きな渋滞には巻き込まれずにスムーズに帰ってくる事が出来ました。


あとがき

今回は、たまたま見た旅行雑誌で知った「吹屋」の町を探訪してみました。「広兼邸」の壮大さ、「吹屋」の町並みの美しさ、「吹屋小学校」の懐かしさに「西江邸」の豪華さなど、どれもすべて期待を裏切る事のない見事さでした。

奇しくも今回まわった見所は、全て映画のロケで使用されたところばかりでしたが、別段それを意識して回ったわけではありません。私は今まで岡山県の様々な場所をツーリングで回ってきましたが、映画やテレビドラマのロケに使用された町並みや家屋の多さに驚かされる事がしばしばあります。これは、岡山県がフィルムコミッション活動に秀でているという事もあろうかと思いますが、それだけ良質な伝統的建造物群が数多く残されている証であり、国が地域規模での建築物保存活動を開始する以前から、「ふるさと村」という岡山県独自のかたちで地区単位での保存・整備活動を続けてきた事と無縁では無いでしょう。

まだまだ探せば色んなところが出てきそうですね。すごいぞ岡山県。